カルメ焼き奮戦記 高梨賢英
今日全国各地で青少年を対象とした「科学の祭典」が開催されている。その中で人気を博している定番実験の1つに「カルメ焼き」がある。この実験は理科の授業の中から生まれたものである。どのようなきっかけでその工夫が生まれたかを記す。
「ものを自分で作り上げたという達成感を伴った喜びの体験が「科学事始」になる」
一緒に理科を担当していた馬場先生との共通認識ものとに、昭和50年代カルメ焼き作りを授業の一部に取り入れた。当時の実験材料は、重曹、ザラメ砂糖であった。残念ながら44人が実験しても蒸しパン状に膨れる成功例は数人であった。昭和54年(1979)「生物化学部」のクラブ活動で「カルメ焼の色(カルメラ色)は、砂糖が変色してできた色である。カルメ焼きは白砂糖でも作れ、わざわざザラメを使う必要はない。」という発見をした。これ以降カルメ焼き作りは上白糖を用いることになった。昭和58(1988)年頃は砂糖液の加熱を止める温度計を135度にすることで成功率が3割以上に上がった。
元舎長(我々の学校では校長をそう呼ぶ)の川崎悟郎先生は東京の生まれ。江戸子である。カルメ焼きについては、数々の経験を持っていらっしゃるので、舎長に理科の時間のカルメ焼きの授業をお願いした。指導のポイントは、「卵の白身に重曹をいれるとうまくできる。」であった。川崎方式で実験すると、蒸しパン状のカルメ焼きができる。新しい工夫が加わり、更に温度設定を125度にすることで成功率は8割くらいに上がった。
昭和58年(1989)夏、「百発百中カルメ焼き」を目指して実験をしていた。たまたま上白糖が無かったので、グラニュー糖を使用したところ白色のカルメ焼きができた。白色ができるのなら着色ができると考え、重曹卵に食用色素を添加してカルメ焼きを作った。ピンクや緑のカルメ焼きを作ることができた。カルメ焼きは茶色の常識を覆す発見であった。しかしながら着色したカルメ焼きを外すときに接していた部分は再加熱されるため、褐色に変色してしまうことが大変残念であった。
平成6年(1994)の秋に晴海で包装の見本市が開催された。様々な容器、包装の機械の展示があった。その中でセルペットという耐熱200度という容器を見つけた。聞けば市販のチーズケーキを焼くのに使っていると言うことであった。この容器に高温の砂糖液を流し込めばカルメ焼きができるに違いないと考え、さっそく実験した。しかし思ったようには膨らまない。何時重曹卵を入れていつかきまぜ始めたらいいのかが、分かりにくいからだ。そんな折り、馬場先生がすばらしい工夫を見つけた。重曹卵を容器の底に塗りつけておいて実験するとうまくできる。というのである。なるほど重曹卵を先に容器に入れておけば、泡の出方でかき混ぜ始めるタイミングはわかる。これをヒントに筑波大学付属高等学校の研究会で、専用容器を使わないで作るカルメ焼きを発表した。その時に「セルペットのような特別な容器ではなく、サランラップのようなものの上ではできないのか?」という質問がでた。早速帰って実験すると、サランラップは溶けて容器としての機能を果たさないことが判明した。たまたま台所にあったオーブンシートを紙コップの内側にはりこんだ容器で実験したところ大変うまくできた。何よりも良いのはできたカルメ焼きがシートにはくっつかず、容易にはがせる。という点であった。この方法を応用して着色カルメ焼きがきれいにできるようになった。
紙コップとオーブンシートを組み合わせた容器でカルメ焼きを作る方法は、多人数が同時に実験できる上に、特別な器具もいらないという理由から今日多くのイベントで採用されるようになった。「さて今度は・・」新しいテーマを見つけての挑戦をしたいと思っている。
|